木枯らしの寒い日でした。
雪化粧の八ヶ岳を眺めました。
北岳は雲の中。ちょっと雲が切れた時に眺められたのは雪化粧した北岳でした。
この作業に費やした労力 2馬力で23時間。
(1馬力は75kgの重量の物を1秒間に1m動かす力。)
周囲を眺めますと、稲の9割は刈り取られています。今残っているは飼料米とか。
豆粒ほどに赤い物が見えます、それが 2馬力の My Bonnie です。
1回に2本の畝を起こします。
1回目 株にはじかれてしまったりします。
2回目 多くの株の根を掘り起こすことが出来ます。
3回目 しぶとい株の根も掘り起こします。
4回目 よく確かめて掘り起こします。
2本を同時に行います。仕上げるのに30分。
画像撮影は午前中でした。
夕刻の残りの畝数は26本となりました・
後、7時間ほどで終えられると思います。
大型トラクターの作業量と速度を考えますと、とてもこの作業はできません。
幸いにも、わたくしは大型トラクターについて知らないのです。
知らぬが仏 というのです。
田圃で作業をする人は見ない日でしたが、道路は
道路をウォーキングをする人 マラソンの練習をする人 ハンコで押したように自転車で一巡りのおじさん スポーツタイプの小型自動車。 (オースチンヒーレーであるはずはない。)
近くに山梨スズキ販売 という会社があるのでスズキのスポーツタイプの車だと思います。
田圃の直線道路をテスト走行に使用しているのかな、とちょっとモヤモヤしながら眺める時があります。
渋滞を避ける抜け道でもないことを理解してほしい。農耕車優先です。
国道からの進入禁止にすればいいのに、と常々思っていることです。
西の山並みは終日、雲がかかっていました。
山は冬の到来かも。
当地も晩秋の気配を感ずるようになりました。
作業着は今年初めて、防寒を意識しました。
セーターに風よけヤッケ着用 ヒートテックの靴下 防寒手袋 これで丁度良い日でした。
明日から4日間ほど午前中は葡萄園にて薬剤散布作業を予定しています。
トラカミキリ防除をする時期なのです。
これまた小型動力噴霧器です。
滞りなくできますように。
田圃での作業が続いています。
2馬力のマイボニー( My Bonnie ) 管理機にて、ガタゴト・グゥァー・グゥァー 30間(54メートル)を行ったり来たりしています。稲の株を起こしながら、雑草の根も退治。
5畝の田圃は終え、本日午後からいつも画像でお届けしています1反5畝の田んぼに移動しました。
長丁場の作業です。(稲わらを纏める作業よりは短くて済むかしら?)
耳に届くのはエンジン音のみ、何を考えるでもなく、行ったり来たりの単純動作です。
この田圃に今まで何人の人が入って稲刈りをしたのだろう。
そういえば、幼少の頃、3歳前後? この田圃の側溝=水路は 堰 (せぎ) だったなぁ、小さなみずぐるまがあって愉快な思い出があるなぁ、あのみず車は何の用をしたのだろう?
堰が側溝になった頃の記憶がありません。
田圃に出向くことが全くなかったのです。
お田植えをしたことがない。
稲わらを牛木に掛けたことがない。
というより、20年ほど前まで田圃作業、畑作業をしたことがなかったのです。
要するに、両親の農作業の手伝いをしなかった、ということです。
台所作業と掃除は手伝いました。厭だったな、農繁期の食事の支度の手伝い。
何が好きだったのか? よくわからない。
敢えて言うなら、木登り。
当時、我が家の裏に無人となった屋敷がありました。
その敷地内にそれはそれは素晴らしい樫の木がありました。
塀を足掛かり、木に登り、程よい高さのところに椅子のように座ることが出来る太い枝がありました。やかまし村の子どもたちよろしくその木に登って、遊びました。
近所に性格の穏やかな、男の子がいまして、その彼が木の下から何やらぶつぶつ言いますので、「 君も登ればいいじゃん やってごらん、できるよ かんたんだよ できないの いくじなしだなぁ」と、いじめに近いようなことを言った記憶があります。
その樫の木の上で、遠い世界に想いを馳せていた時もあった。
冬のある日は。
マッチ売りの少女が見た街の中の様子。
窓から見た七面鳥が食卓にあるクリスマスツリーの部屋の中。
七面鳥を焼いて、と当時、祖母にお願いしたら、日本には七面鳥はいない、の一言でお終い。
クリスマスツリーが欲しいとお願いしたら、
モミの木は多分、祖父が美しい陶器の鉢に設えてくれました。
(我が家の山から採ってきたのか、苗木屋さんから買ったのか?)
オーナメントなぞというおしゃれな品は何もない。その言葉も知らない。
それでも器用な長兄がお飾りを手作りできると期待しながら、加えて、雪も飾ったらさぞクリスマスツリーらしくなるだろう。
雪を模して使うために白い綿を想像してはやり祖母にお願いした。
用意してくれたのは、祖母が家族用に綿入れ半纏を作っていた時の打ち直しの綿。
白くない、アイボリーです、しかも黒いゴマのようなゴミ見たような物も。これに酷くがっかりしてクリスマスツリーはいらない、と言ったのを記憶しています。日本製の綿は打ち直しでなくとも、真っ白でないことは数年後には理解しました。
記憶に両親が登場しないのは、忙しく働いていて、子どものお愉しみに付き合うことがなかったのです。
この頃の両親の記憶は、特に父曰く、子どもがコーヒーを飲むと馬鹿になるということで、ココアを作ってくれました。父の記憶はココアと明治の板チョコ そうそう練乳もあったな 女の子がチューブに描かれていた 明治の練乳。
母の記憶は、雨の日のミシン掛け。洋服の仕立てではなく、擦り切れそうなズボンの膝の修繕でした。
ジューキ編み機のジャッジャッと動く音。セーターを編んでくれた。
そして、鍵針でモチーフをたくさん作ってチョッキに仕立ててくれたなぁ。
田舎にも少しずつ、ひたひたと西洋の色が入り込んできた昭和40年代前半です。
クリスマスケーキはバタクリームでした。直径30センチほどのホールにバタクリームでバラの花や樅の葉を模して美しく飾られていました。
往事茫々。
今年のクリスマスはずっしりケイク古典風を焼こうかな。
それにはすぐに準備を始めなければ。
疲れました、一年中で最もきつい作業です。
七日連続で張り付きました。
先に為した5畝と合わせますと十日間を要した作業でした。
纏めては麻ひもで括り、軽トラックの荷台に積んで葡萄園に運び、葡萄の木の根元に配置する。
稲藁を纏めるばかりでなく、その後、熊手で稲の袴等くずをかき寄せて袋に詰める。
傾斜地の葡萄園に入れる。
ほっとした11月2日の晩でした。
稲藁を纏めて抱えられる程度の量を一束に麻紐で結わえます。
コンバインによる作業は刈り取っては脱穀して袋に詰めるところまでを為します。
脱穀を終えた茎は機械から地面にある程度の量で落とします。
大型コンバインは茎の結束をする機能が付いていますが、我が家の小太郎にはそれがありませんので、茎はそのまま、バサリと落ちています。
纏める時には藁の根本と穂先の向きを同じにしたいのは当然であるのに加え、根本の切り口をできる限り揃えたい、というのは神経が細かすぎるのか、否そんなことはありません。
小口が揃っていなければ美しくない。農作業の結果に美しさがないなぞ、あり得ない、と思うのは、やはり神経質のせいか。まぁ、そんなことはどうでもよろしい。
このぐたぐたの稲藁を纏めています。時間と、自身の体力との相談もありますので、ある程度のところで妥協して、束の見栄えは宜しくないですが、ぐっと我慢。(かなりストレスです。)
画像は午後一番で撮影。
夕刻作業終了時 画像の最も右側は、画像奥までし終えました。
束ねて軽トラックの荷台に積み込み、葡萄園に搬送です。
この田圃を片し終えることが出来るのは、11月に入ってしまいます。
あー、キウイ収穫が待っています。気張れ、気張れ 小間使い。
牛木に掛ける旧来の方法で為した稲藁束は美しい。
あれは価値があります。商品となって当然です。
稲刈り機械で刈り取り、機械に括る(くびる)機能が付いてしていますので束ねられて地面に落ちます。その括りを牛木に掛け自然乾燥。何日か後に脱穀機に括りを通して脱穀、括りがある程度溜まると、これまた機会に束ねる機能があり束となって排出されるそうです。
いいな・・・。牛木の準備と牛木に掛ける作業がかなりきついのは想像できます。
でもいいな、藁束が美しい。毎年のことであってもしみじみと思います。